幼児教室PAL パル・クリエイション

   
パル便り

パル便り「2007年7月号(チャイルド)」

 梅雨入り宣言が二度も出たとか ?! 天気を言い当てるのも近頃は難しくなっているようです。猛暑になるのでは、とも予測されているようで、夏本番に向けて子どもの健康対策も考えないといけませんね。

 さて、私達 ( 私も、お母さんたちも ) は、日々子どもを相手にものごとを教えていますが、教えるってどういうことでしょう。「解るまで何度でも教える」

このカギ括弧の中の文に潜んでいる意味は誤解して受け取られると大変です。

子どもがしゃべり始めた時の事を思い出して下さい。まだはっきりと発音も出来ず、何となくその意味のことを言っているんだろうな、と大人が理解してやっと判る単語を発する子に向かって、「違う、それはこう発音するんだよ。」等とは言いませんでしたよね。たとえ言ってしまったとしても、それを子どもが言われるように実行してただちにきちんと発音するようになるだろう等とは思いもしなかったでしょう。子どもが何度も何度もその単語を口にするうちに、親がその都度「そうね、〇〇出ね。」と繰り返すうちに、いつの間にか言えるようになっていたでしょう。この例が示す状況が「解るまで何度でも教える」なんだと思います。私達大人は、喋り始めるまでの子どもは何も分からない存在と思いがちで、会話が成り立つようになると何でも分かるはずだと思ってしまいがちではないでしょうか。しかし、幼児には大人程の体験がありません。しかも置かれる環境によっても体験は個々によって差があります。人は、自分の体験に基づいて多くのことを学んでいく訳ですから、体験をさせずに「言葉が分かるなら、言葉で説明のつくことは説明してやれば分かるだろう」と考えるのは乱暴です。しかもそこには更に感情という要素も絡んできます。気持ち良く教えられる場合と抵抗や不快感を覚えながら教えられる場合とでは、子どもの受け取り方にも差が出てくるでしょう

 年少さんの見学日に粘土の授業を見ていただきました。粘土で食品 ( 野菜、果物、魚類、肉、パン、菓子等 ) を作ってマーケットに並べてお買い物ごっこを・・

という内容だったのですが、私が試しに貝を作って、子どもたちに「貝は何処の売り場に売っている ? 」と聞いたところ、誰も答えませんでした。種類ごとに売り場を分けて並べようというルールはみんな分かっていましたから、貝がどの売り場に分類されるかが分からなかったのでしょう。ここで私は簡単に

「魚売り場だよ」と言ってしまってはいけないと思いました。いけないというより、ここでそう説明することは無意味だと思ったのです。貝は魚売り場にあると教えられても、その映像がくっきりと目に浮かぶ体験が無ければ、こどもはその事実を記憶に保存しないでしょう。保存していないことを「貝は何売り場にあるんだっけ ? 」と聞かれたって、聞かれた子どもは苦痛なだけです。私はお母さん方に「マーケットに行った折に、是非子どもと一緒に貝がどの売り場にあるか探して下さい。」とお願いしました。ただ確認させるだけでは困ります。一緒に探すのです。そして子どもに見つけさせます。そうでなければやっぱり押し付けになってしまいます。どう投げかけたら子どもが能動的に受け取るか、大人は常に気に留めておく必要があります。これは勿論食品を種別に分類するという課題につていのみに当てはまるものでないことは、云うまでもありません。広く「教える」という行為を行なう時に、子どもの認識の程度と子どもが物事を受け取る道筋を考えて、無理を押し付けず、教える手間を根気良く愛情を持って行なって欲しいのです。