幼児教室PAL パル・クリエイション

   
パル便り

パル便り「2011年度 10月号(チャイルド)」

  彼岸も近いからあと少しの我慢だ、と思っても我慢できない程の熱帯夜が続き、かと思ったら突然10℃以上も気温が下がったり。災害の多い年は、辛い夏だったなと、後で思い出すのですかね。家族の体調管理に気をつけて下さい。
 ところで皆さんは子どもと云う存在をどう捉えていますか? 子どもの身体的、内面的発達について考えてみましょう。0才から1才の時期については、多くの人が子どもの発達の過程を知っています。一人で放っておく事が出来ない赤ちゃん時代ですから、誰もが保護の必要を感じ、よく観察してくれます。しかしその後は? 2才から3才、3才から5才と年令が進むにつれ子どもの内面も少しずつ複雑になり、しかも各々の環境の違いが関係してくると、それまでの様な平均的情報からでは解明できないことが多々出てきます。お母さん方は、子どもが言葉で受け答えをするようになるその辺りから急に、子どもの内面の発達の進み具合を気にとめなくなるような気がします。子どもの内面への想像をやめてしまうと、大人は子どもと日常の理解を共有しているつもりになって、子どもの内面レベルを大人のそれと同等と見なして対処するようになります。
 朝、子どもが登園予定なのになかなか服を着替えなかったり、のろのろと食事をしたりすると、お母さんは「なんで!?」と思わず叱りたくなるでしょう。「何で!?」と思っているお母さんは、朝は登園準備に専念する時、という観念を子どもと共有しているはずだと思い込んでいます。子どもには急ぐという意味をまだ充分には理解できません。そんな年令の子どもを「どうして急げないの」と口で叱って、実は靴下を履かせパンをくわえさせて車に押し込む、といった、叱る=理解させて行動を促し実行を見守る、を反故にする作業をしていませんか。子どもに取って「理解」とは、体験とタイアップしていなければ出来ないものなのです。遅れてしまった気まずい思いも体験せずには「急いで支度」の自覚は芽生えないでしょう。体験を通さない言葉を使って子どもを教育することは、子どもの特質上マイナスになることはあってもプラスになることはありません。又、必然でない体験(押し付けられた体験)は、ストレスを感じる子どももいるということです。受験に向かって、どうしてうちの子は絵の表現が伸び伸びしないのだろう、どうして興味を持って集中できないのだろう、とおっしゃるお母さんがいます。時に子どもが集中し過ぎて大幅に時間をオーバーして活動すれば、時間内にテキパキ出来ないのは何故? と同じ方がおっしゃったりします。どちらも年長の子どもに取って、自分の責任で何とか解決できる事柄ではありません。「早く、上手に、イキイキと」を奨励されて絵を描くことを訓練されれば、絵に対する根本的な興味は削がれますからイキイキ、伸び伸びは不可能です。体操にしても、きちんと並ぶ、静かに待つばかりを訓練した結果、生気のない子どもが出来上がったのでは本末転倒ですね。もう一度我が子の日常を見直して下さい。子どもとじっくり付き合うと、子どもがどのような世界に住んでいるのか、何に興味を持ち何をやりたがっているのか、何が出来て何が出来っこないのかが解ってきます。子どもの気持が解るようになると子どもも大人の気持が分かるようになり、心の繋がりが深くなります。子どもの世界を理解することなく、大人が大人の勝手で子どもを教え込もうとすると、子どもの発達を妨げることになりかねない、ということを分かって下さい。