●2007.6.15.
Vol.59 くわのみジャム
初夏の気持ち良い気候が続いていましたが、どうやら梅雨入りの様ですね。
先々週の日曜日には、合宿の下見に嬬恋村まで行ってきました。例年はもう少し早い時期に行っているので、この時期は初めて。宿泊施設の方が、今が一番清々しくて緑が奇麗な時期です、とおっしゃっていました。合宿実施の頃はもっと下草が伸びていて、緑も濃く、草いきれに圧倒されます。それでも嬬恋の夏の朝はトレーナーが必要なほど肌寒く、24時間暑さに喘ぐ東京に住む者にとっては極楽です。
あちこち歩き回ってみましたが、浅間山の周辺は標高が高いこともあるのか、実のなる木を殆ど見かけません。それがちょっと残念です。人間は、原始時代採集生活をしていた時の記憶をちゃんと遺伝子の中に残しています。だから木に実がなっているのを見ると、我知らず手を伸ばしたくなりますよね。子どもの頃は特に、生活スタイルを自分で選んでいる訳ではなく自然体で生きていますから、殆どの子が採集することを好みます。どんぐりや松ぼっくり等、そんなに集めてどうするのと云う程拾います。食べられなくたって関係ない。だから合宿でも採集するものがあればいいのにと思ってしまうのですが・・・・
下見をしたその次の日曜日、この日は午前中土砂降りの雨。出掛けたくても出る訳に行かず、のんびりゆったりの日曜日です。午後から雨が上がったので孫と一緒に散歩に出ました。筑波大附属小学校の隣の占春園を歩いていて、ふっとあることを思い出しました。確か今頃桑の実が真っ黒に色付いているはずだと。「ねえ、桑の実を取ってジャムを作ろうか」勿論孫は大賛成。家に取って返して容器を持って、再び占春園へ。孫は去年の今頃既に桑の実を口にしています。外の木に自然になっている実が食べられる、と云う体験は彼女の中でとても新鮮だったようで、それがジャムになるなんて夢の様だと思っているに違いありません。黒く熟した実は思った程集められませんでした。「ばあば、これだけでジヤムがほんとに出来るの
? 」ウーン、ちょっと少なすぎる。それから私は自分の記憶を総動員して、周辺で桑の実が取れる場所を探しました。あと2か所回って、なんとか片手に大盛り程の量を確保出来ました。コンクリ−ト塀によじ登るなんて、普段じゃ絶対尻込みする孫が自ら登って精いっぱい手を伸ばして実を摘みます。採集の魅力の成せる技。家に帰って、実を良く洗い、緑色の茎をハサミで取って鍋に入れ、水と砂糖を加えて煮ました。ほんの少量なので、焦げ付かないように慎重に慎重に。すぐに鍋の中の水は濃い紫色に変わり、やがてペクチンの作用でとろりとしてきました。出来た出来た、本物の桑の実のジャムが出来ました。二人でパンに塗って口に運びます。「おいしーい
! 」
思いっきり幸せな笑顔が浮かびます。こんな遊び ( 経験 ) やってみませんか ? 楽しいですよ。翌日の幼稚園のお弁当に桑の実ジャムのサンドウィッチを持っていきたいという孫のために、食パン一枚分程のわずかに残ったジャムを容器に入れて持たせてやりました。孫はきっと幼稚園で休日のジャム作りを興奮ぎみに先生に報告したに違いありません。
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