幼児教室PAL パル・クリエイション

   
ひとりごと

2007.7.30. Vol.62 無事に帰ってきました。

 合宿から帰ってきました。出発前に天候が悪く,どうなることかと思いましたが,三日間きれいに晴れて申し分の無い天気に恵まれました。明けて日曜はご存じのようにあんな天気で、本当に奇跡的でした。合宿地の気候は気温湿度とも程々でとても気持ち良く、多分今までの合宿体験中一番の天候だったと思います。去年雨に祟られた分,今年はリベンジの合宿になりました。具合の悪くなった子も今年は極端に少なく,私達の心配もほんの少しで済み、その意味でも良い合宿だったと思います。

 毎年子どもたちの様子を観察しながら,少しずつ実施の仕方を調整してきましたが,今年は特に緩いルールの中での活動でした。合宿は集団の中でいろいろルールを守って頑張るのが目的ではないの ? と思われるでしょうが,4歳児五歳児の合宿は,親から離れて快活に過ごせるだけて大成功といって良いのではないでしょうか。むしろ普段、あれが出来ないこれが出来ない、と 子どもに要求することが,彼等に取ってリーズナブルな要求であるかどうかを検証し,子どもの本来のペースを認識して,大人はどう育児の仕方を工夫するかを考える方が効果的かと思います。事前に書いていただいた健康調査票には、食が細いとか、好き嫌いが激しいとか様々に記入されていました。けれど本当に食が細くて心配になる程だった子は、一人もいませんでした。どうも,食事の時のムードや食事にかけていい時間が子どものペースとは違っているのではないかと思われます。かつては朝の食事もみんな揃って同じ分量を用意し,一斉に頂きます,で食べさせていました。しかしそれをすると,食べられない子どもや無理に食べて気持ちの悪くなる子どもが出てきて,どうも上手くいかなかったのです。起きてすぐ食事のできる子,そうでない子,少ししか食べない子,たくさん食べる子,子どもによってまちまちです。それは勿論各家庭のそれぞれの習慣が違うからに他なりません。それで2年くらい前から朝食をセルフサービス式に変えました。グループごとに各棟で取っていたのも変えて,皆本部棟まで移動して食べることにしました。そうすることで,外の空気を吸い 体を動かしてから食事を取ることができるようになったのです。子どもは布団からでてテーブルについてもまだ体が寝ている状態のことがあるようです。すると当然胃も起きていませんから,食べ物が体の中に入ってきても受け付けません。

本当に体を起こしてからでないと、食事をさせるのは酷だと思います。セルフサービスにしたのも各々の個人差があるからと言う理由もありますが,受け身で食べさせられるのと自主的に選んで食べるのとでは、食べる気持ちがはっきり違うのです。自己申告制で選ばせると,子どもたちは責任を持ってしっかり食べてくれます。それが、始めからお仕着せの量の載った皿を渡されると,どうやら胃もストップしてしまうようなのです。だってそれじゃちょっとしか要求しない子は雀の涙程しか食べないことになるじゃない・・・と思われる方もいらっしゃるでしょうが,そこはムードと持ちかけ方,上手な話しかけ方が功を奏するのです。始めから無理強いするのではなく,柔らかく誘ってみる,その誘い方を考えて下さい。合宿現場では集団効果が使えるので,例えば生野菜を食べた子を褒めているうちに 食べられない子もつられて食べる事があります。そこをすかさず褒めてあげると,食べる意欲につながったりもします。お家では食べ方を工夫してあげたり,お父さんやお母さんが率先して美味しそうに食べてみせるなど,柔軟に取り組んだら良いでしょう。去年からハチミツを持っていっているのですが,パンにハチミツをつけて食べるのが子どもに取って新鮮らしく,パンのおかわりが多くなりました。勿論他のものを食べてもらえないと困るので,出すタイミングを計らないとなりません。けれど子どもたちは結構冷静で,我先にハチミツハチミツ,と群がることも無く,ある程度食べて味に飽きてくると,ハチミツちょうだいと言うくらいのことです。

 そして最後に食事にかける時間の件ですが,きっとどの家庭でも朝は忙しいのでしょうね。仕事を持っているお母さんの家はもちろんのこと,幼稚園の登園時間を気にするのはどのご家庭も一緒でしょう。つい 早く ! と言ってしまうのも仕方の無いことかも知れません。しかしたくさんの子どもを観察していると,子どもの咀嚼力は予想以上に弱くゆっくりで,わざと嫌がらせをするためにゆっくり口を動かしているのではないのです。今回もセルフサービス効果で殆どの子が完食しましたが,時間のかかる子は四、五十分は裕にかかります。

これが子どものペースなんだと考えてあげて下さい。毎朝四、五十分も食事に時間をかけていられないのもよく解ります。ですからそこからが大人の側の工夫で,早く起こして少し散歩をして体を起こして更にお腹を空かせてから食べさせるとか,食べやすくのどの通りの良いものをメニューに組んであげるとか,

兎に角何も工夫をせずに,遅い遅いとせき立てるのはいけません。合宿ではゆるゆると時間が流れ、子どもたちはゆったりとリラックスして食事をしていました。食事の場面だけでは有りません.今の子は忙しすぎます。ボーッとしていることが悪いことだと思って追い立てるお母さんもいます。でもそんなに慌てることがちゃんとした人格形成につながるのかどうか,いささか不安です。

「もっとここにみんなと泊まりたいよ」

そんなことを言ってくれる子が何人もいました。子どもに取って楽しい時間を作れたことは幸いだったうれしく思いました。

2007.7.19. Vol.61  刺激を与えるとは… ?

 パルの朝はリトルクラスのこどもたちの「おはよう」の挨拶ではじまります。

金曜日の朝、コアラのクラスは2人お休みの連絡がはいっていました。週に2回会っている子どもたちですが,なにしろ2歳児のことなので,フルメンバーを把握できているかは,はなはだ疑問です。みんな無邪気に遊び始めましたが,いつも一緒に騒いでいる2人に関して、誰一人「〇〇ちゃんはどうしていないの ? 」という疑問の声を上げません。しばらく様子を見ていましたが,やがて私は子どもたちに声をかけてみました。

「今日来ていないお友達は誰だ ? 」

この質問はちょっと不親切な質問だったらしく,みんなキョトンとしています。

「いつも一緒に遊んでいるのに,今日はまだ来ないお友達がふたりいるみたいだよ。誰がいないんだろう。」

「〇〇ちゃんがいない」

よく考えもせずに,出席している子の名前を言ったりする子がいます。一人が友達の名前を口にすると,そのままおうむ返しに誰々がいないと続ける子も出てきます。

「〇〇ちゃんならいるじゃない。よく見回してご覧。誰がお休みなのかな。」

このクラスはプレイリトル ( 一歳半からのクラス ) から持ち上がった子が多く,お母さんたちもそのクラスで仲良しになり,更にこの4月から入ってきた親子さんにも垣根を作らず,みんなでディズニーランド ! とか公園へくり出すなど,よいコミュニケーションを保っています。ですから教室以外でもしょっちゅう関わっているはずの子どもたちなのですが,じぶんたちのクラスがどのようなメンバーで構成されているかを考えてみたことは今まで無かったのでしょう。

しばらくみんな盲滅法に様々な名前を挙げていましたが,そのうち月例の早い女の子たちが段々記憶をたどる目になっていきました。あの子はいるかな,とひとりを定めて見回すと,あの子はいるぞ。じゃあ他の子だ。次はあの子,いるかしら・・。しばらく沈黙が続きます。やがて小さく自信の無い声で,

「〇〇ちゃんがいない・・・」

「そう、当たりです。〇〇ちゃんは風邪を引いてお熱があるのでお休みだそうです。かわいそうね。さあ後一人,いないのは誰だ」

また違う女の子が,こちらも自信なさそうに

「〇〇チャン ? 」

「そうだね。〇〇ちゃんはお母さんの御用でお休みだって。残念 !  それで

全員のことが分かりました。お休みのこの分まで元気に遊ぼうね」

 2歳児の子どもたちに取って,クラスは固定されていて,いつもきまったメンバーで活動するというルールがあるなどとは、考えるきっかけ無くしては

思いもしないことでしょう。「お休みの子だーれだ」と言われてはじめて,何時もよりメンバーが少ないことに気付く。そしてそれは誰だろうと探ってみる。

何時も自分が関わる子どもを次々に思い出して,いるかいないか検証をしていく訳です。子どもは記憶力抜群ですから,単純なひと固まりの情報の記憶は大人でもかなわない程ですが,さまざまな要素を含んだことは、きっかけを貰わないとその存在すら知らないままなのです。

 刺激とは,ただ漫然と浸らせる,見せてやる,ほら,すごいだろ ! と曖昧な声掛けをする,といったことではありません。動物園に連れていっても,ただ次々に動物の檻の前に立たせただけでは,よい刺激とは言えないでしょう。何処へ連れていかなくとも,日常の中に幾らでも刺激の種は隠れています。それには

子どもの今ある状態をよく観察して,子どもが何をどの様に把握しているかを掴まなくてはなりません。子育てとは,とても想像力のいる仕事です。

2007.7.2. Vol.60     新聞を見ていて目に飛び込んできた活字

  朝日新聞の日曜版オピニオンのページに大きな活字で「リアルな体験ない弱み」という見出しの記事がありました。中身は「安倍政治を点検する」というテーマに沿って書かれたオピニオンのひとつでした。何なに ? 何が書いてあるのかなと読んでみたら、「リアルな体験がない」とは安倍首相には小泉首相のように厚生相や郵政相を歴任し各省の政策や立法に携わった経験が無い、ということを指摘したものらしい。私は「ひとりごと」に政治批判を持ち込もうとは思っていませんから、この論をどうこう云うつもりはありません。が、大人の世界でもましてや一国の政治の世界でも、体験の必要性は問われるのだと改めて感じたと云う次第です。7月のパルだよりにも子どもに取って体験することの重要性を書きましたが、何も分からない子どもだから体験が必要・・なのではなくて、体験をふまえることは人には不可欠なのだと云うことでしょう。裏を返せば、大人にすら必要な「体験」は、子どもに取ってはものごとを理解する上での絶対条件でしょう。過去の体験と云う貯金に基づいて予測するという技を大人は持っています。それでも計りきれないことはたくさんありますよね。子どもはこれから貯金をします。予測だけを求めるような学習は形だけ出来ても中身がすっぽ抜けます