●2008.4.2. Vol.73 もうすぐ新学期
外は桜の花びらが風に舞って、春真っ盛りの様子を呈しています.けれど気温が低く、朝夕コートが手放せません。早く暖かくなるといいですね。バルの新学期は、今週金曜日にスタートします。春休みに床の張り替えをしました。まっさらな床がピカピカ光って、今までより教室が広く見えます.さあ、この教室に子どもたちの笑い声が響くのもすぐです。どんなクラスが展開していくのか、楽しみです.造形も体操も、子どもたちにより楽しく学んでもらえるよう、連日カリキュラム会議が続いています.二十二年の歴史を持って、でもそれに甘んじる事無くより良い授業ができるよう、進化を止めないように頑張っていきたいと思っています.
世の中はガソリン税の問題やら,食の安全危機やら、年金問題やら、やたらと国民の生活を脅かす問題が山積し、教育の問題などどこかへ飛んでしまっています。次世代を担う子どもたちの教育は、何にも勝る大切な問題のはずなのにいつも議論は後回しにされ、その間に民間の教育産業が親の不安を食い物にして着々と守備範囲を広げています.個人に取って・公に取っての教育のあり方、意義、子どもたちが教育力をつけることと社会との関わり、不均衡が生じた時の社会的リスクなど、大局に立って考えなければならない問題を棚上げして、ひたすら個人の利益追求のみに走ることは、私たちが住むこの国を危うくすることになりはしないでしょうか。子どもの環境とは、単に快適な物理的環境だけを指しているわけではありません。社会の中でどれほど豊かに人と関わって暮らしていけるか、その能力を育むことも子どもの環境を整えることになるのではないでしょうか。イタリアのレッジョ・エミリア市の実践を支えたローリス・マラグッツィ氏は「子どもたちの百の言葉」の序文で次のように言っています.
―――― シナリオのもう一方は、子どもの数が減少し、ほとんど一人っ子で、子どもたちが多くの新しい要求や苦悩を抱えた家庭環境にいることです。確かに、最近の子どもたちはあまりに早く大人社会に引き込まれ、行き過ぎてかつ意味不明な感情のはけ口の対象になりがちで、又彼等はしばしば異常な孤独感や自主性を強要され、消費主義やマスメディア、そして一貫性のない雑多な経験にさらされています。
しかし現代の子どもたちはより健康で、より知的で、より素質に恵まれ、より学ぼうとする意欲に満ち、より好奇心と感受性に富み、より柔軟で適応しやすく、記号言語により興味を示し、自分自身を問うことに優れ、友情を渇望しています。
この子どもたちは今「瀬戸際」に立たされています.彼等にとって好ましい実在と好ましくない抑圧の危うい挟間に置かれて。悲観主義者や協調主義者が来ても彼等を救えないでしょう。前者は郷愁的過ぎて、後者はぼんやりし過ぎているからです.子どもたちは両者を見分ける勘はかなりありますが、彼等から身を守る方策は必ずしも十分に備えていないのです.肝心なのは、相変わらず、子どもたちと共に歩む大人の「成熟」です。特に教育の最高の目的は、子どものうちに自分の人生をよく形づくっていく能力を鍛えていくことでなければならない。しかしそのことを語らなくなったような大人が問題なのです.
このような能力は必要な手段と知性と自覚によって「実践して」こそ培われるのだということを忘れているのです.――――――――今年は年度始めから年長さんも定員一杯でスタートです。
エネルギー全開で臨まなくてはなりません。 |