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ひとりごと

2008.7.4. Vol.75  大切なのは・・・・

 フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂に落書きを書いたとして、高校野球の監督が更迭されたとニュースが伝えていました.更迭されるべきか否かは別として、どうして重要な歴史的建造物にいたずらをしてしまうのか、考えてみました.この建物には世界中の観光客が様々な言葉で落書きを残しているらしいのですが、日本人の書いた落書きの割合は実に 10 % !  何処ぞの大学も,自校の学生の狼藉について謝罪をしたとか。

何故にそんなに意識が低いのでしょう。何もこの大聖堂に限ったことではないのですが、特に世界遺産であるフィレンツェ歴史地区の代表的建造物に軽い気持ちで落書きができてしまうと云うのは、どう云うことなのでしょう。

 二十数年前私はこの大聖堂をミケランジェロの丘から眺め、その美しさにため息をついたものです.先日の引っ越しで、荷物の整理をしたら、ふるいキャンバスが出てきました。ほこりにまみれていましたが、それはまさしくミケランジェロの丘から眺めたフィレンツェの街。真ん中にサンタ・マリア・デル・フィオーレのドゥオーモが描かれたものでした。スケッチから起こしたのか、写真から起こしたのかはもう忘れました.でも絵を見ていると、あの時の真っ青な空とドゥオーモの屋根の赤茶色にひどく心を打たれたのを思い出します.

 日本では、公教育の中の美術教育をどんどん減らしています.美しいものを感じることさえ、日本人はどこかに忘れてきてしまったのでしょうか。みんな海外旅行をしても、みんなが知っている有名な場所を訪れた、という事実だけが大切だと思っているのではないかと疑いたくなります.もし、この建物が、 1296 年から 140 年もかかって建てられたイタリアに於けるゴシック建築および初期のルネッサンス建築を代表するものだという事実を知り、その意味の深さを知っていれば、おいそれとは物を落書きで汚すことは考えないでしょうし、そんな知識が無くとも、美しいものを慈しむ気持ちを養って育ってきていれば、汚したい気持ちには到底ならないはずです。ただ常識やモラルがないからだ、で片付けてしまっては、これからもこうした狼藉は止まないと思います.それより、美しいもの大切なものを心で感じることを教育していくことが大切なのではないでしょうか.日本人は立派な文化を持った国民だったはず。しかし今の大人達は其の大切さをどれほど子どもに伝えられるでしょうか。失った精神性を取り戻すのは容易なことではありません。美しいということを感じる力、感性を養うことは、現代の世の中にあって必要不可欠だと思います.