幼児教室PAL パル・クリエイション

   
ひとりごと


2012.3.27.VOL.99パル通信 リトル


 お子さんが2才を過ぎると、お母さん達の関心事は幼稚園選びに大きくシフトします。幼稚園の教育内容は千差万別で、どこに照準を絞って選べば良いか、皆さん悩まれるようです。よくある質問に、”うちの子はやんちゃなので、厳しくしつけてくれるところがいいのではないかと思うのですが、どうでしょう。”  “大人の指示に耳を貸そうとしないので、一斉保育を選べば指示が聞けるようになるのでしょうか。”等があります。幼稚園に何を求めているのでしょう。家庭の仕事の肩代わりでしょうか。幼稚園で子どもが受け取るべきは、強制に従う訓練ではないはずです。そんな事が行われる場を想像すると、寒々しい気持になりますね。子どもは、安全と安心を保障されて見守られながら、日々刺激的なことが待っている楽しい場所で、イキイキと活動するのが望ましいと思います。幼稚園という空間は、子どもが様々なことを試すことが出来るところであることが望ましく、一人一人の探究心が触れ合って遊びが発展していくようになることが理想だと思います。こうした過ごし方の中で、子どもは全能感を持つようになります。それは人生を自己肯定感をたずさえて生きていくことの土台を作ることになるのです。

 幼稚園に入園するまでの一年間、お母さん方は何を準備なさろうとするのでしょう。何を不安に感じていらっしゃるのでしょう。母として一番率直に心配なのは、我が子が幼稚園生活に馴染めるだろうかという点ではないのでしょうか。朝、幼稚園の入り口でお母さんと離れるのが嫌だと泣きはしないか、
誰とも遊べずに一人ぽつんと寂しげにしていたらかわいそうだとか・・・
多くのお母さんが感じることではないでしょうか。しかし中には、一番大切な
幼稚園生活を心配するのでなく、その入り口を突破することだけに心を傾ける人もいます。有名幼稚園の入園考査や有名小学校入試を目的にする幼稚園の考査を目指して準備の為の受験塾通いを選択する人がいます。楽しい幼稚園生活を手に入れる為に、真逆の生活を長いことさせることに矛盾を感じないのかと不思議に思います。幼い子どもは、目的の為に辛いことを耐える等と云う意志を持つこと等出来ません。笑顔が無くなり、何につけ怯えるようになることも
少なくありません。辛いことを耐えた結果積極性を失い、無邪気さが消えたら、
それこそ本末転倒です。

 放っておいても自然に子ども集団の中に混ざることの出来た昔の2才児に比べ、今の2才児にはそんな環境は望めなくなりました。パルのリトルクラスは、そんな状況を少しでも変えることが出来たら、という想いで開設されました。
中々友達と触れ合えない子、言葉が出ずに手が出てしまう子、未経験のことに中々手が出ない子、最初のうちはこんな状態だった子ども達が、年を越える頃には立派に子ども集団を形成し、元気に跳んだりはねたりといった様子に変わっています。よじ登ったり飛び降りたり、勢い良く走ったり、ケンケンも出来るようになります。早い子はスキップもこなします。工作や粘土も進んで楽しみます。絵も伸び伸びと表現します。どんどん言葉が達者になり、様々な要求も伝えることが出来るようになります。幼稚園準備完了です。こんな取り組みをさせるのはいかがでしょうか。


2012.2.2.VOL.98パル通信 リトル

 2歳児を持つお母さんは、どんな悩みを持っていらっしゃるのでしよう。
もしくは、どんな要望をお持ちでしょうか。
 私達には、パルの「リトルクラス」でお子さんやお母様方との関わりから感じたり気付いたりしていることがたくさんあります。最近よく言われていることに、情報の氾濫が若いお母さんを惑わせているということがあります。ありすぎる情報は用をなさず、結局多数が選択する道を自らも選択してしまうことが多くありませんか?

A みんなが早くから子どもに英会話を習わせているようなので、うちも遅れを取ってはいけないから習わせる。

B 幼稚園受験より小学校受験、小学校受験より中学受験、とどんどん難しくなるそうなので、それならば少なくとも高校まで繋がっている有名私立幼稚園の受験で片付けた方が後が楽だ。

C 何でも人より早くできるようになることで、自信を持つことが出来るのだろうから、水泳もピアノも勉強も早く始めた方が良い。

様々な思惑でお子さんに思いを懸けていくのでしょうが、これらは本当に
的を得た子どもの育て方と言えるのでしょうか 。

 Aについては、まずは母国語の完成を目指すべきです。言葉はひとえにコミュニケーションの為にあるのですから、意思の疎通がおぼつかない乳幼児には、
まず日常にたくさん会話をするはずの人と使う言葉に重点を置くべきです。おうちでも一切英語で生活するなら、英語も日本語と同じように身に付くでしょうが、その場合日本語が置いてきぼりを喰うわけで、その後の教育機関をどのように選択しますか。

 Bについては、有名私立幼稚園を受験することの是非を云々しているのではありません。その為に不必要な「勉強」と称するものを子どもに強いることを危惧するのです。特に年少受験で訓練をアウトソーシングするのは危険です。
年少受験は、本来親を見る受験です。年齢が下がる程、親と子の人格は分ち難く、子どもは親に左右されて生きています。ですから、試験をする側とすれば、
親がどのような子育ての概念を持っているか、それが子どもにどのように反映されているかを見るしかないのです。ですから国立の幼稚園等は、親が子どもにどのような対応をとるか、と云った場面を作り出して、その対応を観察しようとします。子どもはあらかじめ訓練を必要とはしません。親との間に順調なコミュニケーションが育っていて、朗らかで、元気であれば、後はわずかばかりの躾が出来ていれば、他には何もいらないと云えます。しかし、はじめての子どもを持ったお母さんは、何か受験を突破する秘訣が存在するに違いないと
思うようです。訓練専門の人に任せれば、間違いないのでは・・と。けれどその結果は、往々にして期待できません。むしろ、一時的にその子の持つ人格を阻害することもあります。まだまだ親に充分庇護されていて当たり前の年齢の子には、不信感や恐怖心を募らせるだけにしかならない場合の方が多いのです。
私達は、まず子ども達を穏やかに育みます。そして試験の前にどのようなことに留意すべきかを、お母様にお話ししています。結果、学芸大附属竹早やお茶大附属等には高い成果を出しています。

 Cについては、子どもが子ども時代に何をなすべきか、を考えなければなりません。あれもこれもと、たくさんのお稽古をしている子どもが増えてきて、年々低年齢化しています。でも2歳児の子ども達が本当に必要な環境は何でしょう。自発的にやりたいことを選びとって、繰り返し満足がいくまで遊び尽くすこと。そこでは、ものの取り合いあり、ケンカありの同年代の仲間も加わります。じわじわと自分の周りを自分で手探りしながら広げていくことによって、
子どもは自分の意識を上げていきます。しっかりと地に足をつけて生きることをさせるには、始めから何でも教えられ、訓練され、といった環境は不適当なのです。

 パルでは、次の年には幼稚園に上がる年の子ども達に最もふさわしい環境を提供しようと、努力しています。お母様方の様々な疑問にも丁寧にお答えしています。昔は兄弟が多く、上の子が下の子の面倒を見る等は常でした。いずれにせよ生活の中で子どもの姿を目にすることが多く、子どもの心情には何となく触れながら結婚して子どもを持つに至っていたように思います。しかし現代は、自分が子どもだった頃を除いては自分の子どもを持つまで、全く子どもに触れずに生きてきたという人が多いのではないでしょうか。子どもの成長過程を知るのは育児雑誌で、おしめを外すのは何時か、2歳では何語話せるのが標準等全ては数字でしか認識できなくなっているようです。でも本当に必要なのはそういった表面的な成長ではなく、精神的発達が適切かどうかだと言うことです。子どもから遠ざかっていた人は、何事も大人の基準を子どもに当てはめがちです。大人が自明のことは、子どもも解るはず・・・ではないのです。
子どもの生き生きとした育ちを、私達と一緒に支えませんか。私達は子ども達が感性豊かで活力に溢れた大人に成長していけることを切に願っています。

2012.2.2.VOL.97「パル通信 チャイルド」

 パルは受験塾ではありません。しかし多くの在室生が小学校受験を目指していることも事実です。そうした現実の中で、私達はたくさんの子ども達の実態をつぶさに見てきました。そして現状がどんどん混迷してきている事実にも気がついています。このことは見て見ぬ振りをするには余りにも深刻で、口を閉ざしていることが既に罪ではないだろうかと思われる程です。

 かつて、多くの私立小学校の受験内容はペーパーテストとそれ以外に明確に分かれていました。ペーパーテストの内容は答えがはっきりしていて、訓練も可能な分野と言えましょう。(子どもが内容を理解できるかどうかは別として)しかし次第にその弊害が明らかになっていき、それに気付き始めた学校の順に極力ペーパーの比率を下げる、もしくは無くすと云う方向に移行していきました。しかし、受験塾の看板を掲げている以上何かを伝授しなければ成り立たない教室は、無理に「行動観察」の訓練等に手を出し、行動観察に対応する「型」を子どもに押し込もうとしています。かてて加えて、絵画の分野に於いても大人の理論をそのまま子どもに実現させようとするような指導をする教室が現れて、子どもの精神発達を混乱させかねない、目に余る事態になっています。

 今年4月に一年生になる子ども達の受験は、昨年末に全て終了しました。今回筑波大附属小学校をパルから受験した人で1次の抽選を突破したのは10名。内5名が試験をパスし、最後の抽選を3名が突破しました。何故筑波の受験状況をつぶさに把握しているかと申しますと、筑波の試験の内巧緻性を見る課題がかなり特殊なため、1次抽選を通過した人にだけ対応教材を提供しているからです。(あくまでも積極的支援ではありませんが、受ける子ども達がみすみす手をこまねいて眺めるだけに終わってしまっては気の毒。本人の自尊感情を傷付けたくないという理由で行っています。)

 今回の試験合格の5名中、4名が受験塾に通っていなかったという事実があります。ただ受験塾に通っていなかったと云うだけが共通点ではなく、4名はどの子も自律的に育っていました。少なくとも筑波の附属を受けるのに必要な条件の一つは、「依存度の高い子どもにしない」ということです。受験塾に通う、ということにメリットを感じる方が多いのでしょうが、デメリットもあるということを知っておいて欲しいと思います。一方的に正否だけで分けられた問題を突きつけられ、毎度評価されるやり方を続けていく・・それでは自らの思考を他人の評価にのみ委ねるという図式ができ、結果他律的になり、生命力・意志力を削ぎ取られていく結果になってしまうでしょう。家庭で子どもに自律を促すように接していくことがまず不可欠なのは、言うまでもありません。

 パルでは、子ども達の自尊感情を大切にしながら、子ども達が自らつかみ取りたいという濃い内容の授業に努力を傾けていきたいと思っています。