●2005.12.
28Vol.19
良いお年を・・・
この「ひとりごと」は, 8 月にスタートしました。初めは週一回、週明けにと決めて頑張るつもりでしたが、何かと理由を付けてズルズルとずれ込んだりして、初志貫徹はつくづく難しいと思う日々でした.来年は頑張るぞ、等と意気込んでもやっぱり守れないと思いますので、それは宣言しません。中身をもっと充実させます、と宣言することにします.ので、来年もよろしくお願いいたします。
今年を振り返ってみると、様々感じることがありました.子育てに関してはたくさんの問題が挙げられ騒がれました。つい最近人口減少が取りざたされ、少子化に歯止めをかけなければ、と騒がれていますが、子どもの数が増えるだけでいいのでしょうか。マスコミは、経済が最も大きい原因、女性の産後の職場復帰が保障されれば子どもを持ちたい人はたくさんいると言っていますが、それ以前の問題として,果たして今の若者は体力的に子育てが可能なのかが心配です.文部科学省の「体力・運動能力調査報告書」は、十代の子ども達の「背筋力指数」の平均値の指数がどんどん下がって来ていると指摘しています。子育てに必要な指数は
1.5 以上、介護に必要な指数は 2 以上とされているのに、それを切り始めているというのです。つまり子ども達の背筋力は、自分の子どもを抱いたり、自分の親の介護をしたりすることが難しいレベルまで下がって来ているのです.こどもが生まれても抱くことが不可能では、子育ては大変。楽で便利な暮らしを作ろうとして、人間は自らの身体能力の低下を招いてしまいました.どんなに便利な世の中になろうと、子育てに便利はありません。人が、そもそも持つべき能力の復活、これから真剣に考えなければいけない課題だと思います.
あと三日もすると新しい年がやってきます.来年も皆様にとって良いお年でありますよう、心からお祈りします.また来年も読んで下さい.よろしくお願い致します.
●2005.12.
22 Vol.18
子どもの気持ちを理解する リトルのパル便りに書いたことの補足をします。まずパル便り抜粋から・・・
( 昨年を表す漢字は「災」だった。今年を表す漢字は「愛」に決まった。しかしこれは今年がそんな年だった、ということではなく、「愛」に満ちた世の中を渇望しているが故の「愛」だったのだろう。
)( 本文 ) ところで「愛」って何でしょうね。と云うかひとに愛情をかける為にはどのようにすればよいのでしょう。私は「相手を理解する努力をする」ことだと思います.私はこの教室でたくさんのお子さんとそのお母さんにお目にかかっていますから、当然たくさんの親子の絆 愛情の有りようを目にしてきました.勿論お母さま方はお子さんが可愛くて、何でもしてあげたいと云う思いをたくさんお持ちだと思いますし、それは充分に伝わってきます。そして我が子だから全て解っていると思っていらっしゃると思います.「だって親子だもの
! 」とおっしゃるでしょうが、もう少し広い観点から大人と幼児という視点で眺めてみると、「お子さんの心の中をのぞいてみる」、という仕事を余りなさらない方が意外と多いように思います.「どうして泣いてるの
!! 」とお母さんが声を荒げると子どもは余計に「ワーッ !! 」と泣いたりしますが、どうして・・・なのか立ち止まって考えてみましたか
? その「どうして」が、正当であるかどうかは別として “ どうして ” なのかを冷静に分析できればその次に打つ手はあります.何と云っても子どもと親は写し鏡のようなもの.お母さんに反応して子どもの行動は左右されます.子育ては親子の二人三脚
( お父さんも含めて三人四脚かな ?) 、子どもだけ独立して気難しいとかわがままだということはないのです。それを大人対大人の対人関係のように、相手が思うようにならないとイライラしたり、憤慨したりするのは的外れです.幼児はまだ生まれて二
~ 三年のところにいます。 ( 四五歳でも同じこと )
ものごとをどの様に解釈しているのか、大人の常識には当てはまりません.少しずつまわりを見回しながら成長していっているのだということを是非わすれないでください。
( 本文おわり )
子どもは、理屈はまだ学んでいません。でも人と人との関係については本能的には随分色々なことが解るように思います。だから,子どもが傍で聞いているのに,その子のことをこき下ろしたりすれば、ちゃんと耳に届いていて、傷付きます.では、口で云えないだけで何もかも解っているのかと云えば、経験の無いことは解りません。しかもたとえ解ったとしてもそれが当人に取って嫌なことであれば、そのことに耐えうるだけの精神力は持ち合わせていませんから、崩れてしまいます.子どもはやはりたくさんの愛情を必要とする人種なのです。そしてその愛情とはやはり、「理解してもらうこと」「容認してもらうこと」なのだと思います。うちの子、というよりは、幼児の心理と云う観点で探って欲しいし、そんな見方をすれば客観視もしやすいように思います.
要は,簡単に 解っているはず と思わないこと。親が要求していることが、難しすぎるのか、はたまた親とこの間の感情のもつれが原因なのか、ゆっくりと考えてみることです.
( 逆に過小評価している場合もあることも忘れずに !) 子どもには何かにつけて「考えろ ! 覚えろ ! 」と要求するのですから、私たち大人も子どもの気持ちを考えてあげようではありませんか.
●2005.12.
15 Vol.17
暮れは忙しくって・・・
今パルは、クリスマス会準備の真っ最中です。今週の土曜日から一週間はクリスマス週間です。普段の授業は普通にあって、その合間を縫ってあれこれ作り物をしているので,スタッフたちは,息つく暇もありません.それでも出来る限りのことはしようと、皆手間を惜しみません。手を抜こうと思えばいくらでも抜くことは出来るでしょうが、そんな仕掛けから子どもが受け取るイメージは、貧しいものになってしまう.お金だけを掛けてもやはり寂しい気持ちは残るし、やっぱりとことん楽しんでもらおうと思ったら、気持ちを込めなければ
!
そう思っていくら忙しくても皆頑張ってしまうのです.今年はどんなストーリーが子ども達を待っているか、勿論秘密ですが、きっと子ども達は今年もワクワクドキドキの時を楽しむでしょう.私たちスタッフは一週間クリスマス漬けになるので、実際に二十四日や二十五日がやって来ても、もういいや・・・というのが正直なところです。さて、今日ももうひと頑張り
! 「ねえ、・・・のしっぽできた ? 」 シ―ッ、秘密でしょ !
●2005.12.
6 Vol.16
子どもの環境について、思うこと
この二週間程、テレビをつければ、幼女連れ去り殺人事件のニュースばかりで、胸の塞がる思いの毎日です。テレビや新聞はこぞって、どんな対応をすればいいかについて、様々な意見を流しています.アメリカではスクールバスで送迎をしているのだから、日本も導入を考えるべきだとか、地域のお年寄りの力を借りて通学路を見張ってもらえばいいとか、いやいややはり我が子の安全は各々の家庭で守るべきだとか、様々な意見があります.性犯罪者から子どもを守るには、ということから考えれば、それは適切な対応に思えます.けれど、子どもはどんな環境を望んでいるのでしょう.学校の送迎も、塾やお稽古ごとの送迎も、何もかも親掛かり.勝手に友達と冒険して歩くなどとんでもない、といった日々は、子どもに取って幸せなのでしょうか。いやそれよりもそんな環境で子どもは健やかに育つのでしょうか。
昔はよかった、でも今は世の中が変わってしまったのだから仕方が無い、と大人はまるで世の中が勝手に変わってしまったような口振りで,対処療法ばかりを言い立てます.世の中は勝手に変わってしまったのでしょうか。そんなはずは無いのです.何かを手に入れたいと後先考えずに追いかけ、手に入れた代償として、危険な世の中をも呼び寄せてしまったのです.事件を起こす人だけが悪い、と言って危ない人を避ける対策ばかりしていても、それでは何の解決にもならず、世の中を拗ねて他人に危害を加えようとする人の数は増えるばかりでしょう.そして何より子ども達を囲い過ぎて健やかな成長が望めなくなるのです.
パルにはワークショップと言う小学生のクラスがあります。大半の子どもが幼稚園の頃からずつと通って来ていたパルっ子です。小学校受験をした子も多くて、私立の小学校に通う子と公立の学校に通う子が半々といったところです。子ども達の活動時間は五時半までと決まっていますが、五時半に子どもがいなくなることは、皆無です。もちろん作品に取りかかっていて遅くなる子もいますが、多くは少しでも長くパルに留まって遊んでいたい子がいるからです。いつも長居をする子の傾向としては、私立に通う子、遠距離通学をしている子が多く、要は学校以外で友達と遊べない子ども達なのです.私たちもその現状が分っているので、余りうるさく帰れとも言えません。たいがいの子は親の送迎つきで、子どもがお迎え電話をかけると親が迎えにくるようにしているようなので、こちらもギリギリまで我慢して自由にさせています。五、六年になっても本当に他愛無い遊びをしていて、生意気な口は聞いてもやはりまだ子どもなんだなと、感じさせられます。この子達もきっと外で友達と何の制約も無く思いっきり羽を伸ばして遊びたいのでしょう.子どもとはそういうものだと思います。ですからその性質を無視して、危険から守ってやればいいでは、本当の対策にはならないのだと思います.
私たち一人一人がこの世の中を作っている構成要員だということを認識して、何をどうすべきかを本気で考えなければいけない時が来ていると思いますが、皆さんはどう思われますか.
|