幼児教室PAL パル・クリエイション

   
パル便り

パル便り「2010年度 2月号(チャイルド)」

 

 例年に無く,寒波が日本列島を覆って動かない状態らしく、身にしみる寒さが続いています。
なのに、去年の夏の猛暑のせいで,今年は杉花粉が特別多いらしく、そろそろ飛散が始まるよう
です。テレビ画面で茶色い雄花がびっしりついた杉の木を見ただけで、くしゃみが出そうです。
対策はお早めに。
 「現代しつけ考」(日本経済新聞社)からの抜粋を読んで下さい。
───「ダメはダメ」の基準は、はっきりと───
前略 ── 科学者が変数を操作し、結果にどう反映するかを実験するのと同じように、子どもは自らいろいろやってみて,その結果がどのように変化するかを確かめるのだという。だから大人はそれをむやみに禁止してはならない。あれもダメ、これもダメと禁止してばかりいると,好奇心は萎え,能動的実験を試みようとはしない子になってしまう。それでは自主性は育たない。大人の
云うことを聞きすぎる「良い子」の落とし穴がここにある。
 問題はその先だ。こどもがどんなことをしても,好奇心の現れだと許していいのだろうか。
子どもが喜んでやっているからやめさせてはいけないのだろうか。子どもにとって如何に面白い事でも,能動的実験をやっているとしても、してはいけないことがあることを同時に知らせなければならない。
 人に迷惑をかけること,自分であれ他人であれそのひとの体や心を傷つけること,大切なものを壊すこと、それらは「ダメはダメ」と禁止しなければならない。なぜダメかという理由は必ずしも
云う必要はないし、「まだ小さいから」と子どもの年齢を考慮して許す必要もない。理由は,それが分かるようになってから話せばいい。
 子どもの行為の何を許容し,何を禁止すべきか,その基準は大人(親)が決めなければならない。今の若者の中にとんでもないことを平気でする人が増えてきたと云われているのは、彼らが小さい時から,その基準を明確に示されなかったからではないか。子育てでは、大人(親)の善悪ややっていいことやってはいけないことの基準(価値観)が問われているのだ。──── (終)
 “子どもは褒めて育てましょう”と言っても,そこには自ずと限度があり、何から何まで許してしまっては子どもが知るべき善悪を授けてあげることは出来ない、と云うことです。しかも”褒めて育てる”の解釈も妄信型の人がいて、のべつまくなしに褒めまくる人もいますが,それでは効果も期待できません。ここぞという時に褒めることに益があるのであって、ちょっとしたことにも大げさな褒め言葉を受ける子どもは尊大になっていくでしょう。片や過干渉も問題です。本当の自信を持って生きる子どもにするためには、本来の意味での自主性を尊重する親でなければなりません。どんなに何かが上手にできたとしても、いつも親の顔色をうかがっている子だとしたらそれは本当の力として根付いたことにはならないのです。子育ては極端に偏ってはいけない。親は自分の気持ち、気分を顧みて,自分と子どもとの間のバランスが良い状態かどうかを時々見直してみる必要があると思います。